コロナ禍で亡くなるということ③
空港からタクシーに乗って、義実家へ。
田舎のタクシーのドライバー、方言キツくて、ところどころ??なのだが、
それよりも、シートベルトなしで出発し、ナビあるのにイマイチ理解しないまま走行、笑
そのうちケータイに電話かかってきて、ながら運転、、、おいおい、頼むよ。
まあなんとかたどり着いたけども。思ったよりかからず、時間も間に合って、6000円台で到着。ラッキー。
とはいえ、通夜まであんまり時間ない。
やはり宅急便は来てない模様、、、想定内。
黒っぽい服でとりあえず来てて良かったわ。
義母は自宅に帰っていた。
かなりやせちゃってたけど、穏やかな顔で、本当に眠っているようだった。
私が送ったニット帽を被っていた。
亡くなる数週間前に看護師長がLINEビデオ電話つないでくれた時より、顔色がよく見えた。あの頃はさぞかし苦しかったのかな。楽になったんだなあと。
そうこうしているうちに、葬儀屋さんのお迎えが来て、義母は会場に出発。
少ししかお家に戻れなかったけどね。
ダンナは数週間前、自分がワクチン接種でタイミング悪く帰れなかったから、結局、義母がそれで家に帰れなかったのをホントに後悔してる。仕方ないんだけどね。
まあ確かに、その時家に帰れなかったのが、義母の気力がダウンした要因でもあるけど、、、それだけじゃないんだけどね。
義母の顔を見ながら思ったのだが、
コロナで亡くなった方でお顔も見れず、ご遺体がお骨になって帰るまで会えないって、絶対にキツイだろうな、と。
この経過がなくて、いきなり、お骨になって帰ってきても事実として受け入れ難いのでは、、、岡江久美子さんや志村けんさんなんかもそうだったよね、、、
死に向き合っていく時間が、遺された人たちが受け入れていくための必要な時間なんだなと。
自宅に帰り、通夜があり、告別式があって、初七日(義実家の地域では御六日というらしく、その日に行う)があって、、、
それで、ああ亡くなったんだなと。
そして、それに伴う、細々としたことの多いこと。ホントにCMじゃないけど、
ドウシテニホンノオソーシキはモシュがコンナニタイヘンナノカ?って。
喪主であるダンナはなかなか大変でした。
お疲れ様でした。
ホントは義父が喪主になるはずなんだけど、これについてはまた④に続きます。
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