ぢもてぃブログ2

クスッと笑える日々を残しておきたいです

コロナ禍で亡くなるということ⑤

今回の葬儀の喪主は長男であるダンナがやることになった。


そう、義父は認知症であり、すでに義母の入院と同時に施設に入ることになったためだ。


義父が認知症か?と疑い始めたのは、3年前の春頃からか。今から考えれば、5年前に娘が一人で帰省した時には怪しかったようだ。


ようやく、息子の受験が終わり、久々に家族で帰省したのが3年前の春。義父の認知症はゆるやかに進んでいた。病院にも診てもらってはいたが、薬を飲みたがらず、義母のイライラは溜まっていた。


夫婦二人とも校長という職についていた手前、田舎ではあまり認知症であると口外したくないようだった。公的サービスの申請もまだしておらず、なんとか自分達でできるから、ということもあるのだろう。


とはいえ、老老介護。

すぐに駆けつけられる距離ではない。

頼るもんは何でも頼らないと、、、

ってなわけで、まずは、役場や包括支援センターに行ってみた。


包括支援センターの担当者はとてもいい方だった。離れてるので、時々、気にかけてほしいと。義母にも顔つなぎしといたよー、連絡してみてーと。


このタイミングで顔を繋いでおいたのが、本当に良かった。今回、義母が入院するにあたっての義父の施設探しもスムーズにいけたのは、早い段階から、包括支援センターとつながっていたことがあったからだと思う。


まあ、田舎だから、比較的施設も空いていて入れたのもある。県庁所在地の市中心部まで行くと、倍以上になることもあるとか、、、

認知症でもまだ身の回りのこともできるし、暴力的な感じにもなっていないからってのもある。


でも、何より、やはりお金、だよな、、、

夫婦揃って、校長まで勤め上げたってのが大きい。介護への持ち出しもしなくてすみそうだ、本当にありがたい、、、ホントそれな。


で、だいぶ葬儀から話はずれたが、

義父の出席はどうするかと。コロナ禍であり、施設住みでもある。いろいろ検討して、告別式だけの出席にしたほうがよいのではと。


認知症だから、直近の記憶はすぐに忘れてしまう。だから告別式当日、親戚に連れて来てもらうことに。


義母が入院していることは理解している。

そのことにより、自分が施設で生活しなくてはならない、というのもわかってはいる。

でも、一人で暮らせないから、とはわかってないようだけどね。


連れてくる親戚には、連れてくる際に義母が亡くなったと伝えるかどうかは、その場の状況でお任せすることになっていた。


結局、葬祭場についてから、義母が亡くなったことを伝えた。しかし、思ったより動揺や激昂するようなことはなく、

「わしより先に死んでしまうとは思わんかった、、、○○(義弟)には知らせたんか?」


いや、お義父さん、あなたの隣にいるのが、次男ですけど、、、

二人の孫を見ても、反応がほとんどなく、、、まあ私にもだけど。


棺に入れる写真見せながら、久々に話かけたんだけど、写真に写ってるのが誰なのかは、まだわかるらしい。


が、その孫二人と嫁と今、話してるんだよ、、、ってことは理解してないっぽいなあ

、、あなた、どちらさん?ってことはないけど。ちょっと寂しいよねー。


葬儀が終わり、翌日施設に様子を聞くと、やはり、すべて忘れてしまっているようだった、、、本当に直近の記憶は残らないんだな。


でも、お義父さんと話すことが出来て良かった。当然、施設も面会できないし、今後もしばらく会えないだろうから、、、、

また少しづつ進んでしまうんだろうなあ。

嫁なんて、一番最初に忘れてしまうだろうねー、笑


ダンナは、お義母さんの死亡に伴う諸々の手続きやら、いよいよ、お義父さんの成年後見人やら、なんやらホントに細々したことで奔走中。


またこれについてはいつか記録も兼ねて書きたいなと。


長々、覚書代わりのブログにお付き合いありがとうございます、、、